犠牲の習慣
犠牲になることってあまりに習慣づいているのですよね。
何かを得るには何かを手放さなきゃいけないって
この社会の常識になっていて。
お金を払わないとものは買えないし
労働の対価もお金。
努力をしないと幸せになれない
頑張らないと愛してもらえない
優しくしないと一緒にいられない
とかなんとか。
お母さんやお父さんに褒めて好きでいてもらうために
子供たちもがんばる。
自分が犠牲を払うから
相手にも犠牲を求める。
犠牲を払ってくれない相手は攻撃する。
私がこれだけしているのに、なんであなたはしてくれないの?と。
この習慣は本当に根深い。
芯の芯まで刷り込まれている感じで
いろんなところで反映されている。
でもこの犠牲に根っこには罪悪感があるのだとわかってくると
ちょっと視界がクリアになる。
世の中で起こっている諍いはの原因は
ほぼこの罪悪感からくるもの。
犠牲なんぞ払わなくても
愛と安らぎと幸せの中にいるのよ
自ら犠牲を払わないといけない罪などないのよ
ということを本気で思い出せたらもっと生きやすい。
誰かを攻撃したくなったら
その誰かが自分がしている犠牲の習慣を投影してくれているはず。
そうやって1つ1つ、癒していくだけ。
果てしないけど。
そんなことを学んでみると
息子にもこの犠牲を受け継がせているわ。。。
ということもみつけちゃったりするのですよ。
誠実に
でも深刻にはならずに
自分の内面をみていくことをやるしかないのです。
ちょっとうまくいかん。。。ってときは
シンギングボウルの音に癒されております。